フランクリングプランナーなるものを愛用している。何かというと、1日1枚のシステム手帳である。見開きの1ページにTODOリスト、1日のタイムスケジュール、メモ欄がついている。
 昔、CMで竹村健一が手帳を指差して「私なんかこれだけですよ、これだけ」なんて偉そうにしていたが、僕にとってバイブルサイズの皮のファスナー付きのこの手帳が、自分の分身になっている。
 このフランクリンプランナーは1日1ページという特徴以外に、自分の目標、価値観を書いておく「ミッションステートメント」や、自分という人間の役割を複数の側面から捕らえて、その役割毎に1週間ごとに目標設定をしていく「1週間コンパス」なんかがついている。例えば、俺は、○○会社の社員であり、夫であり、息子であり、独立志望者である。それぞれその役割ごとに、今週やりたいことを目標設定するのである。つまり、自分が大切にしたいと思っていることをバランス良く実行するためのツールである。
 毎日、あさの15分を使って、今日やるべきことをリストアップし、優先順位をつけて実行していく。実はまだまだ実践できていないが、これを自分の物にできたら、生産性は確実に向上する。
 実は、昨年の10月にいくつかの長期目標を設定した。それが今でもこの手帳に残っている。今日久々に帰りの電車の中で長めていたのだがその内容が現実となってきている。家の購入、退職、独立・・・。最近では、この8月から続いている一連の騒動は実はこの目標に向かってのトリガーになっているのではと思えてきた。少し、物事を前向きに捉えられるようになった証拠である。
 目標は紙に書くと実現する、うそだと思ったらやってみたらいい。ただし、その紙を1年後にも見れる環境に置いておくことが必要だが。

都庁に行く

2003年10月29日
 会社からレッツノートをパクってきた。これで今日は日記をつけている。ちっちゃくてやりずらい。
 今日は朝、病院に行ってくるとまたうそついて、NPO設立申請にいく。NPOの申請は簡単のようでなかなか細かいところまでつじつまを合わせなくてはいけないことがよくわかった。
あとは郵送で申請すればいいというお許しをいただいたので申請はほぼ終了。
 行政書士試験、自己採点結局しちゃった。LECの模範解答だと80点。合格ラインが84点といわれているので、2問足りずに不合格のようだ。ここまでできているのなら、ちょっとした運不運で何とかなりそうだったのに。正直悔しいよ。
 ただ、二問他校の模範解答では正解になっているものがある。ということは合格なのだ。そんなに劇的なことが起こるとは思えないが、1月15日に望みはつないでおくことにしよう。気持ちを切り替えて、次のステップの引越しに焦点を当てよう。

行政書士試験

2003年10月26日
 監査ですっかりやる気を無くしたのが7月。そして、7月終わりに行政書士を受けてみようかと思った。一種の現実逃避かもしれない。出張帰りに本屋により、問題集を買って夏休みから本格的に勉強を始めた。
 行政書士の試験は範囲が広い。浅く広くが原則である。正直、簡単な資格となめていた。
 今日、昼から慶応大学に受けに行ってきた。すごい人の多さで、昨今の資格ブームのすごさを目の当たりにする。若い人が多い。皆この資格に何を期待しているのだろう。
 試験開始。一般教養から解いていく。なんとかいけてる。LECで模試を4回受け、全て平均点割れだったときにくらべ、手応えが感じられる。この1ヶ月で俺は確実に成長した。と、思ったのも最初の1時間までだった。あとは、あてずっぽばかり。こんなに難しいはずは無い。どうしちゃったんだ。終わった瞬間は全くの手応えが無い。
 家に帰って、2ちゃんねるで、試験の講評を調査した。すると、近年まれに見る難易度だってことだ。自己採点する気は全く無い。多分、すればだめだったことが確定するだろう。ここは夢をつないでおくために、発表の1月15日まで自己採点は行わない。
 明日から、独立のための準備に入る。まずはHPの作成からだ。そして、メルマガの発刊、副業の受注・・・。忙しくなる。でも、進むだけだ。

ずるやすみ

2003年10月25日
 昨日の金曜日は本当は泊まりで会社の研修だった。日曜日に行政書士の試験を受ける僕は、仮病を使ってずるやすみ。辞める会社の研修と、独立してから使う資格では当然の選択だ。
 しかし、この当たり前の選択ができるようになったのは、自分の中で今の会社を辞める気持ちの整理がついたからに他ならない。
 行政書士の試験は、ここまで来たら五分五分だろう。1ヶ月前の模試でE判定だった僕がこの短期間でどこまで詰めれるか、請うご期待である。
今日はいよいよ家の引渡しの日だ。朝、銀行で不動産会社と司法書士と決済をして、午後に瑕疵点検を行った後、引渡しとなった。
 朝からトラブルが発生した。なんと車のバッテリーが上がっているのだ。車内灯を付けっぱなしにしていたらしい。JAFに来てもらい難無きを得たが、30分の遅刻。情けない。
 決済は事前準備ができていたため、問題無く進み、予定通り、午後の引渡しとなった。まだ直してもらわなくてはいけないところがあったのだが、隣でまだ工事して大工さんもいるので、おいおいやってもらうことで合意した。
 とにかく、31にして自分の戸建住宅を手に入れることができた。毎月13万づつ返していかなくてはならないが10年後には借金も無くなる。むろん、この返済計画は、サラリーマンを続けることを前提としてものだったので、独立することになって、正直この返済が僕らの生活を苦しめることになるのかもしれない。しかし、バイトをしてでも、10年間で返済してみせる。改めて決意をした今日であった。

 

突然の仕事

2003年10月19日
 独立するときに僕は3つの受注先をあてにしている。一つは資格予備校。二つ目は現在設立中のNPOである。三つ目はすでに独立してマーケティング調査会社を経営している師匠である。
 その師匠から金曜日の夕方電話が入った。この土日にやってもらいたい仕事があるというのだ。本当は行政書士の勉強をしたい。でも、この人からの仕事を断ると、今後の独立への悪影響は避けられない。それにもし借りを作れれば、より今後頼りになる存在になる。
 土曜日の朝集合時間が8時というのは、結局金曜日の夜中11時に僕から電話して決まった。それほど逼迫している状態だったのだ。師匠は納期のない仕事を受注して、下請け会社に投げていたのだが、その内容が予想に反して難しいものだったために、その下請けは納期ギリギリで両手を上げてしまったのだ。納期は月曜日。今から48時間後に何がなんでもデータ入力を完成させなくてはいかなかった。
 結果として、僕は一人で黙々と作業を続け、納期に間に合わせることができた。何人かが入れ替わりに手伝いにきたが、結局48時間働きつづけたの僕だけだったのだ。そして2日間で得た報酬は8万円だった。
 この事件は僕に、独立してやっていく勇気と自信を与えてくれた。体力、精神力、能力、今の段階でも売れるものを自分は持っている。それがわかっただけで、貴重な土日をつぶした甲斐があった。 

金銭的なつきがない

2003年10月17日
 良くある成功哲学によると、どんな境遇でも、自分はついていると言いつづけることによって、本当に運がよくなるという。
 逆説的に、つきがないと言いつづけているとますます運に見放されることになる。
 でも言わせてくれ!誰にも言えないのだから。
ここで触れたか触れていないか忘れたが、明々後日の20日に家を買う。親と共同名義だが、自分の出資は3000万円である。そのうち、1800万は貯金、1200万円はローンである。
俺は、貯金のうち、850万円をドルに600万を株にしていた。9月には、この二つの含み益は優に100万はあった。
 ところがである、俺が解約しなくてはいけない火曜日の時点で、円は買い値118円に対し108円と10円も高くなっている。これで60万の損。
 株は580万円と20万円の損である。これは仕方がない。ところがである。今日株価をチェックすると、売却した株がストップ高になっているんだ。1日で60万円上がっている。これはさすがにくらっときた。大幅業績修正したのだ。多分、来週で上がり幅は200万近く行くだろう。
 まだある。長期金利の上昇により、ローンを決めた6月に比べ、金利は約80万上がっているのだ。
 タイミングの良し悪しだけで俺はいったいいくら損しているのだろう。悔やまれて仕方がない。アー運がない。だー!!!!!

減 睡眠

2003年10月15日
 行政書士の試験が26日にある。あと10日になってしまった。俺の現在の実力は4:6で不利である。そういわけで、毎日睡眠時間を削って勉強している。久々の緊張感。あーねむい。でもあと1時間頑張ろう。

独立 挨拶

2003年10月13日
 以前、書いた資格予備校の講師に会ってきた。2月に独立するので宜しくお願いしますと。そこでは講師は商品なので、来るものは拒まない。適正はお客さんである生徒さんが判断することなのだ。将来、コンサルタント養成のSへの仕事につなげるためにも、ここの仕事はきちっとしておく必要がある。
 他人に初めて2月に独立すると宣言してしまった。そうすると、まずやらなくてはいけないことが出てくる。独立するにあたり、現在の自分の師匠となっている先輩に報告にいくことだ。本来ならこの人に報告してから行動が順序なのだ。
 先輩は「そう、よかったなあ」と言ってくれた。こちらの世界に入ってきたことへの賞賛をくれたが本心はどうなんだろう。大企業の安定を捨てた俺をホントに賢い選択をしたと思っているのだろうか。
 この先輩は本当に、いろいろなことを考えている人で、この人と過ごす時間は僕にとっては塾でお勉強をしている状態になる。これ、どう思いますか、なんて質問されることが多くって、そのたびに答えを考えなくてはいけないので、とても疲れる。この人を見ていると、自分もこんな風にならないと生きていけないのではないかと不安になってくる。なにしろ、発想が豊かなのだ。本をとにかくたくさん読んでいる。俺も勉強しなくては。
 これで、独立しても、独立しなくても裏切る人間ができたことになった。独立すれば、俺を可愛がってくれているK常務、上司のO部長、N課長に正直申し訳が立たない。多分、O部長は人事部長で、辞めたがっている営業マンを必死に留保しているにもかかわらず、その足元を直属の部下に救われるのだから、迷惑をかけることになるだろう。
 今の俺にはそのことが一番の憂鬱である。他人に迷惑を掛けること、自分はそれが苦手ないい子ちゃんなのだ。

20世紀型 21世紀型

2003年10月12日
 ふとしたことで、コーチングを受けている。3ヶ月くらいになるだろうか。最近では、コーチングを受ける時間は30分くらいで、あとは、コーチとビジネスの話ばかりしている。
 そのコーチから今日、とてもいいことを聞いた。今自分の周りにあるものを全て20世紀型と21世紀型に分類する習慣をつけるとこれから自分が進むべき道が見えてくると。
 例えば、自分の会社を見てみる。生存基盤を建築業界に置いている我が社は間違いなく20世紀型だ。しかし、方や多角化の一環として21世紀型事業に取り組みつつもある。20世紀型業界のシュリンクを上回る21世紀型産業の成長があれば、我が社は21世紀型企業への転換を図ることができる。
 そういう意味では今の大企業は全て20世紀型なのだ。
 最近メンタルヘルスの重要性が説かれている。うつ病、心身症などが多く発生しているからだ。その理由は何だろう。現代人が精神的に弱くなったから、ただそれだけだろうか。
 20世紀型の大企業は多くの分野でデフレ経済の中、売上がシュリンクしている。売上・利益のシュリンクは組織のシュリンクを引き起こす。組織のシィリンクはポストの不足につながり、バブル時代に入社した平成社員は数少ないポストをめぐる椅子取りゲームに参加させられている。椅子を取るためには、失敗は許されず、また上司に気に入られることが必要になってくる。毎日の緊張感の中、ふとしたことから忍び寄るミスは必要以上に平成社員にダメージを与えることになる。自分の今まで頑張ってきた数年を無に思わせ、これからの復活の可能性を無に思わせる。これが最近メンタルヘルスを侵される人の増加の背景と思われる。

決算早期化と退職金

2003年10月7日
 うちの会社は月初4日で前月の月次決算を仕上げる。本決算も基本的に4日だ。僕が入社した9年前は8日かけてやっていた。時間的余裕もあり、不備書類を提出してきた営業マンは当時はすぐ側にいた。だから、「金払いませんよ」とか言ってやり直しをさせてから、僕ら経理が処理をしていても十分決算ができた。
 今は、遠く離れたところに経理がいること、また時間的余裕がないことから、僕ら経理がとりあえずの修正をして事後で営業マンに不備を完璧に直させる。そうすると処理が終わった後だから、営業マンは後回しにしてしまいいつまでたっても書類は返ってこない。僕ら経理は修正を命じて返却した書類の管理表を作っておかないと、永遠に返ってこないことになりあとで窮地に追い込まれる。決算早期化と経理のセンター化はそんな面倒なことを僕らに押し付けることになった。ストレスは倍増だ。
 まあそうはいっても、今月は俺が地方営業所担当に回されてから初めての決算だった。前の東京の大営業所のときは、あまりの忙しさに鼻血を出しながら処理をしたこともあったが、今日は3日目の夜にはほぼ終わっていた。楽チンである。ただ、面白みは全くない。は〜。
 退職金制度変更の説明を聞いた。今までは退職時の基本給を元に退職金の支給額が決まっていた。平均2000万だって。これはあくまで退職時まで給与額が右肩上がりであることを前提とした制度だった。 しかし今の給与体系では部下の数やミッションによって給与が変わるようになったので、引退前の部下無し窓際社員は大幅に給与が下がることになっている。そのため、退職時給与で退職金を決めることは都合が悪くなったのだ。
 そこで今回決まったのが、毎年の公課や業績、勤続年数で退職金の基本となるポイントを与えて、それを退職するまで積立ていこうというものになったのだ。脂の乗り切った時期にはたくさん貯めておける。また、この方式だと退職金前払制度が可能となってくる。
 こういう話を聞いても僕はさめている。なぜなら団塊の世代がこれから退職した後には、今決めた制度も必ず改定になることが分かりきっているからだ。どうして、大企業を俺は辞めれないのか。それは将来的な保証を手放すのが怖いからだ。でも、考えれば、30年後に退職金制度が残っているという保証は全く無いことを今日改めて理解することができた。
 もっと驚きなことがあった。うちの会社は退職金を20年の年金でもらうことが可能だ。それは、もとは自分の退職金を分割して受け取るだけだからよしとしよう。ところが、この制度を選択すると、20年以後、つまり退職金をすべてもらった後でも、死ぬまで当社から年金として支払いがあるということなのだ。知らなかった。つまり、僕はこの会社にいる限り、OBの社員の生活費までまかなって行かなければいけないのだ。当社OBは現在5000人らしい。
 現在の会社の仕組みを知れば知るほどバカらしく、そして独立することのメリットが浮かび上がってくる。甘いわなかもしれないが。

独立の一歩

2003年10月6日
 前、独立相談した独立先輩が仕事を紹介してくれた。資格予備校の講師だ。さっそく担当の先生にメールを打って、来訪した旨を伝えた。正直迷ったよ。行動しなければ、先輩の顔つぶすことになるし、行動すれば、独立に向けて一歩進むことになる。だんだん後戻りはできなくなってくる。
 
今ならまだ会社に残れる。ただし、独立業界はもう二度と近寄れなくなる。

新人事制度

2003年10月2日
 ミス貯金箱には2百円が貯まった。
 担当がかわって綺麗だった机の上にはまた新しく書類が滞留し始めた。担当部署が変わってもやってることは同じなのだから仕事のおもしろさはかわるわけがない。
 昨日人事部から新人事制度について説明があった。今まではヒラ→課長だったのをヒラ→プロ→課長にするよって話しだ。課長待ちのヒラは今3500人いるらしい。そして、今の制度だと課長になれるのが年間80人なのだとか。それをプロというつなぎを入れることで役職者(プロ)に年間120人なれるようになるらしい。どうしようが、課長待ち3500人→実態年80人ってことは、相当数が今のままの実務屋だってことだな。
 つまらない仕事を企業がどう継続してやらせるかというと、ひとつは転勤であり、ひとつは昇進だったのだが、自分の場合転勤したくないし、昇進も3500人待ちの3400番目位なのだから、全くモチベーションを与えられずに今後数年を過ごすことになる。
 また少し悲しかったのが、今後わが社は確実に売上が落ちる斜陽業種であると公の場で人事部が明言したことだな。新規事業でカバーとか今まで聞かされてきたが、考えてみれば今これだけ高いシェアーをとるのに30年かかっているわけだから、今から育てた事業が僕らを食わしてくれるのまでになるのに何年かかるのっていう話だ。
 よし、辞める方向へのいい材料。

ミスをなくそう

2003年9月26日
 とりあえず、会社にいる間に誤字・脱字を無くそう。手元から自分が書いた文章が離れるときは、見直しをするくせを一からつけよう。一からやり直しだ。
今日のミス

?拡売ファイルに付けた書類が天地逆さまだった。
?向上します が 工場します に
?致します。 が 足します。 に

間違えたら罰金100円。貯金箱用意。今日宣言。早速間違え。

 昨日、代理店の決算書分析で意見を求められ、2年前にやっていたレポートが役に立った。今日、代理店の債権保全で根抵当について、債権管理センターの人にミスを指摘した。自分がやってきたことは無駄じゃないぞ。自信をとりもどせ。

 朝5時に起きて行政書士の勉強。地方自治法の再読終わりそうだ。勉強しているときに北海道で地震があった。M8以上だそう。昨日嫁が寝る前に空が茶色い、気味が悪いと言っていたがまさか的中するとは。
 久しぶりに逝仲氏と戸喪駄氏と食事する。逝仲氏はもうすぐ課長だそうだ。優秀な人だと客観的に思う。自分でやるのではなく、人を使うのがうまい。

2ちゃんねる

2003年9月23日
この道をいかば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が
道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

2003年9月の本音

2003年9月22日
 多分今後変わるかもしれないことを前提に、今思っている胸の内を表現したい。
 今俺が会社を辞めたいと思っているのは、
?今の仕事に面白みを全く感じられなく、かつ今後仕事の内容が変わる可能性が少ない。また、分社化によって経理だけの別会社が出来、自分が目指している経理のあり方からまた遠くなってしまう。
?税務的にうそをついて仕事をしていくことがいやだ。
?整理整頓が命の経理は自分にとって性に合わない。
?監査の失敗により、発言力がなくなり、前の様に自分の思い通りに仕事が出来なくなった。。
?逆説的だが、俺この会社やめちゃうんだなあと思うと、どうしても積極的な気持ちになれない。
?過去できていないことをこれから穿り返されていくのが屈辱的。
?今まで優秀な奴と思われ、出世していくことを生甲斐として仕事をしてきた。それが奪われた今、正直別の場所でリセットボタンを押したい。


まず、辞めたいありき。

次に、どうして独立しようと思っているのか。
?せっかく資格を取ったのだから、それを活かしてみたい。
?すでに、独立グループに入っていて、かつNPOから抜けられなくなっている。抜けたら、裏切りになりこの業界では再起不能。
?だめなら再就職すればいいやと思っていて、独立というチャンスを使ってみたい。
?知識を資産に仕事をするということに対する憧れ。執筆、講演等自己評価されることが好き。
?一攫千金のチャンス。
?自由。嫌な人間の特定の評価気にしない。
?社会貢献できる。他人を幸せに出来るかもしれない。

で、どうして悩んでいるの。

?やっぱり経済的恩恵を手放すこと。成功するとどうしても思えない。ていうか、金になるノウハウ現在持ってないぞ。
?泥臭い人間関係は濃くなる。深夜までの酒の付き合い、急な呼び出し、時間厳守なんかは増えるだろう。
?忙しくなる。土日休みよさよなら。

こうして書いていくと良く分かるなあ。

俺は?会社やめたい。仕事つまらずまたいづらい。
  ?転職OR独立なら、独立の方が自分的にはや
   りたい。かつ、NPOの件で束縛されてもい
   る。
  ?でも、経済的に不安。今の楽さ捨てるの惜し
   い。

なだけなんだな。

それに転勤したくないという理由も加わってくるわけだ。

 世間一般的には、熱い独立への思いがまずありきだとおもうけど、俺の場合は第一目的がちょっと弱いなあ。転職OR独立の上での独立だし。
多分成功しないんだろうなあ。でもすぱっと捨てきれないこの気持ちは何だろう。自滅を望んでいるのか。それとも出来るんじゃないかと思っているのか。やっぱりやりたいんだなあ。
 こんな俺が独立して成功したら、それこそ奇跡だろうなあ。でもこれだけは言えるのは、俺って働くだけなら、良く働くぞ。内容は置いておいて。これだけは自信があるなあ。

恩義

2003年9月20日
 独立した場合、当然会社を辞めることになる。いま一番辛いのは、会社を辞めることをあの人にもあの人にも言わなければならないということだ。
 今の会社は純血主義である。中途社員はほとんどいない。そして男性の離職率も恐ろしく低い。
 そういう会社にいて、辞めることに対して皆ノー理解だろう。それを押し切って、何で自分が会社辞めるかを説明するの精神的にタフでなくてはならない。
 なによりつらいのは恩義のある上司、先輩が多すぎることだ。退職する人は皆通ってきた道なんだろうなあ。

NPOの設立

2003年9月19日
 決断の日が近づいてきている。僕が所属している共同事務所でNPOを設立することになった。今から申請して出来上がるのは来年の2月である。このNPOはボランティアのためではなく、金を稼ぐためのツールとしての法人である。
 そのNPOの中で僕は事務局長に指名された。事務局長とは要は事務屋である。これは、今のようにサラリーマンをやりながら出来るものか分からない。多分出来ないだろう。
 メンバーは僕が当然今後独立するものと思っている。それが前提となって話が進んでいる。しかし、僕はまだ踏ん切りが完全についているわけではない。自主独立に憧れを抱くと共に、安穏としても生きていける今の境遇を手放すのが惜しいのである。どんなに馬鹿にされても、評価が低くても我慢して仕事がつまらなくても割り切って生きてい行けば、楽に後10年はまあまあの収入を得ていけるのである。
 もし、独立やーめたなら、もう二度とこの業界で生きていくことは出来ない。罵倒されるだろう。でも、最終的に自分の人生なのだから、それくらいは覚悟しなくてはいけない。
 しかし、独立するにはこれはチャンスなのである。独立して、かつ先輩方の看板も利用することが出来る。半独立・半勤人という独立初期時には最高の形なのだ。
 実は、去年の10月、今の仕事が物足りなくてもんもんとしていたときに、決めたことがある。再来年の2月の誕生日のときに、転職するか独立しようというものだった。その時期と、NPO設立の時期がぴたりと重なるというのも不思議なものを感じる。人は目標を紙に書くとそのとおりになるという。本当にその通り、人生が動いているのは確かなのだ。不思議な力によって、背中を押されている気がする。それが、幸福への後押しなのか、単なる勘違いだったのか、行動してみないことには分からない。

行政書士の勉強

2003年9月15日
 実は行政書士の勉強をしていたりする。7月に心壊してから現実逃避的に始めたのだ。
 行政書士とれば、独立してからの糧になるかもしれない。そんな安易な気持ちではじめた。実際、受かったら使ってくれる行政書士の先生も知っている。
 そのために最近の土日は勉強でつぶれている。それまたストレスになっているのだから笑い事ではない。ただ、もっと可愛そうなのは妻である。彼女はけなげに俺の受験を応援してくれて、遊びたいにもかかわらず、我慢している。
 すまないなあといつも思う。ありがたいなあといつも感謝している。
 今日レックの模試に行ってきた。合格には程遠い点数を取ってきた。そりゃ初めて1ヶ月で合格県内だったら、1年以上やっている人に申し訳ない。
とりあえず、今日から毎週日曜日は模試である。その中で問題を覚えていけばいい。
 コーチングを受けている。知り合いの人が練習をしたいというので、クライアントになっている。
 コーチには全てを洗いざらしはなしてしまいたいのに、それができない。僕には尊敬している人がいて、その人に心の弱い人とは思われたくないからだ。その尊敬している人とコーチは知り合いである。俺の本心を打ち明けられるのはこの日記だけだ。 
 サラリーマンをやりながら、副業をしている。その副業仲間で、今度NPOを作ることになった。自分もその理事に入っている。これでもしも、やっぱり一生サラリーマンで行きますなんて、言えるのだろうか。心が死んでいるときに行った行動の結果が、心がまともになった現在を苦しめる。
 今日現在の本音は、やはりサラリーマンでいたいということだ。東京の今の部署にいて、仕事をこなし、妻と休日を過ごす。いま心が折れていて自分に自信が持てないので、どうしても楽なほう、楽なほうに流れている気がする。リスクがとれなくなっている。だからこういう本音に落ち着いてしまうのかもしれない。
 今の仕事は面白みを全く感じない。でも仕事とは面白みが何もないものと受け止めて、もくもく定年まで生きていく、本当にそれでいいのか。自問自答が続く。
 そしていつも行き付く先の結論は、今は決断をしないで自分が与えられた環境をめいいっぱい利用しようと。ただし、仕事も副業も中途半端になってしまうが。大事なものを少しづつ失っている気がする。

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